東京自叙伝  奥泉 光 (集英社)

東京自叙伝  奥泉 光  (集英社)
2014/5/10  1刷 1800円(税別)
初出:「すばる」2012/11月号~2013/11月号 装幀:水戸部功

tokyo

立て板に水。読み始めの第一印象は、落語のようだと思いました。

六章からなる本文は「第一章 柿崎幸緒・第二章 榊晴彦・第三章 曽根大吾・第四章 友成光宏・第五章 戸部みどり・第六章 郷原聖士」と、概ね江戸時代から現在までを、各章ごとの語り手たちが引継ぎ、時代を進めてゆきます。

この語り手、時代や人物が移っても同一の語部であり。語り手自身もあやふやながら、地霊のような存在です。

本編が概ね江戸から東京といっても、語部の経験や記憶が智として蓄積されず、縄文時代の情景が何かの拍子に蘇り、登場人物に憑依する地霊は、常に覚醒しておらず、平将門の記憶や縄文時代の情景も想起し、はるか昔からいたようでもあります。

そして、覚醒あるいは憑依する対象は人間ばかりではなく、夏目漱石の吾輩の猫であったり、どうやら地霊の大元は地下に蠢く蟲。蜻蛉螻蛄の類、表紙画にある鼠の霊なのかもしれず、ナリタブライアンでもあり、時空に関わらず存在し、それでいて本人に自覚はなく無節操無責任。

その場しのぎの自己中心的快楽刹那主義は「なるよにしかならない」という基本姿勢を貫く者。

とはいっても、集団としての存在でもあり、遍在するものでもあり、時代の総体的無意識か超自我であり、エロスとタナトスが渾然とした語部は、「Stand Alone Complex」であり「The Ghost in the Tokyo」なのかもしれません。

登場する事象のモデルや人物は容易に思い当たり、語部のキャラの魅力が後半乏しく感じるのは、貧すれば鈍するからなのか、或いはこの国に蔓延し侵食する、東京的なる無意識が破滅へ向かう反映なのか。

何れにしても、破壊と繁栄を繰り返してきた東京の地霊は、最終的に読者が予想した通りの終盤へと向かうさまは、バナール主義の著者ならではの解決だったのかとも思いましたが、作品と著者に関して無知だったので調べたところ、311が執筆のきっかけだったようで、メッセージはフィナーレにあったのかと、少し意外な印象をもちました。

それは1960年代以前の流れが、単純な筆者の好みにあっていたという理由だけなのかもしれませんが。

著者は文学者で、筆者に他作品を読む能力があるかは些か疑問とはいえ、興味をひかれ、フルーティストとして音楽活動もする著者の演奏を聴いてみくなる、面白本でした。

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